- 10:30くらい起床
- スターレイルをちょっと進める
- +kysm.jp と合流しに渋谷へ main眼鏡屋, カフェ, 109, ゲーセンなど巡る
- 帰宅後, +toufuya.net がバゲットを買ってきたのでパテにつけて食う
2024-02-11
2024-02-11
2024-02-09
2024-02-09
- 労働
- ポチャッコカフェの予約が取れないことを発見
- デフォルメの練習
- 初めて総資産が200万になった
- 歌舞伎町バッドトリップ 池田とリオ https://www.amazon.co.jp/gp/product/B0CV515JMK
2024-02-08
2024-02-08
- 狂った様に Hazbin Hotel OSTを聞く https://music.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_mij6XyTFMGO94IdjoZsZ5f2aN19ns13Fw
- Bluesky に人が増えたのでfollow作業 https://bsky.app/profile/sumi.space
- アイシナモロールを見る https://www.youtube.com/watch?v=marEO3wfZx8
- Hazbin Hotelの影響か, 絵を書くならcartoon的な絵柄の練習をしたい
- 陰毛を5mmに刈る
- ダンジョン飯Ep6
- +hollowwood.land とFF14
- スターレイルのやり残しクエスト消化
2024-02-07
2024-02-07
- 労働: 月一の出社日+ランチ会. 幹事を担当. 河豚を食う. https://www.shunpanro.com/location/tokyo/
- iPad Airが屆いたので旧い方からフィルムを剝がして貼り直す https://www.apple.com/jp/ipad-air/
- Google Takeoutで全データを保存したら容量が足りなくなったのでメモリを購入 https://www.amazon.co.jp/dp/B099214J49
- +toufuya.net と Hazbin Hotel を最後まで見る https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0CLM9XG3F
2024-02-03
事象: 麻婆炒飯
AとBは同居してゐる.
戀人や配偶ではない.
Aは在宅で働き, Bは出社が多い.
Bは忙しく平日週末を問はず夜遅くに歸ることが多い.
ある平日の午ごろAは空腹を覺えて冷蔵庫を開けたが, 一個の例外を除き晝食に丁度良いものを見つけなかった.
その例外とはBが數日前に買った麻婆炒飯である.
Bは每日疲弊して歸宅するので, 自分が買った商品を食ふ餘裕が無く期限を切らすことが何度か有った.
これを自分が貰ふ (無論代金は拂ふが) のは良さそうだとAは考へた.
AはBにmessageを送った: ‹冷蔵庫の麻婆炒飯を貰っても良いか?›.
Bは ‹同じのを買っておいてくれるなら› と返じた.
それは自明なので有意味な返答ではないとAは思ひつつ, 買ひに出るのが面倒なので食はないことにした.
Bの歸宅後, AはBに言った: ‹結局麻婆炒飯は食はなかった. ところで, 同じのを買っておけば食って良いのは當然だからあの返事には內容が無い›.
するとBが ‹いや, それは當然ではない› と言った.
‹商品に個體差が有り, 私の買ふものは元のものより狀態が惡いかも知れないから?› とAが問ふ.
‹いや› とBが答へる.
‹私が買ってゐない時にあなたが歸って來て, 食ひたかった場合に困るから?› とA.
‹いや› とB.
‹では何が問題か?›
‹つまり, あの麻婆炒飯は私が買ったものであり私の領域に屬するから, それを無斷で食へばそれを侵犯することになる›‹全く問題の無い代替物を入手できるときその侵犯は具體的にどんな不利益を意味するのか›
‹この事實は私にとってそれ以上分解できない最小單位なので理由や詳細を問ふことはできない. 敢へて言へば感情である›
‹私はそれを理解しないが, その樣な行為をあなたが許容しないことは承知した›
Aは我 (これを書いた人) である.
文からは無駄を省いたが, 大意これと同じ遣り取りが2024-032に發生した.
AとBは相互理解の無いときが幾らか有るが, 數度の衝突を經て今は巧くやってゐる樣に見𛀁る.
2024-02-01
2024-01-27
2024-01-03
才能と努力
東大生は自身の努力に矜恃が有り, 自身の地位を環境の良さに歸着せらると怒る, と言ふ議論 (と呼んでよいか怪しいもの) がTwitterには長いことある.
(このたぐひの議論に いつも卷き込まれる東大生には同情するが.)
上野千鶴子の祝辭への反發も記憶に新たである.
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html
Twitterで言へば, 誰でも努力すれば繪を書ける (から書けない人は怠惰である) なんて論も人氣である.
社會的に努力を要すると考へらる任意の屬性についてもこの議論は成立する.
才能 (先天) か努力 (後天) かと言ふ, 幾度も繰り返された議論である.
そろそろ飽きて良いと思ふが.
(この主題は未だに哲學的に語る餘地を有するとは想像するが, Twitterの議論がそれに資することはない.)
この議論につき わが認識を整理するがこの文章の目的である.結論を述べると, 運 (才能や環境) は原因で努力はその結果であるから本質的に兩立し, 一方が正解と言ふものでない.
人間が生まれて與へらるもの (知能, 報酬系, 運動能力, 生育環境) は おのれが選ぶものでない.
例へば大學への入學なら (大學ばかりが話題になるのも俗だが…), 幸運にも
- 環境 (教師なり親なり) が自分には大學と言ふものに通ふといふ選擇肢があると教へ,
- 高等教育を理解するだけの知能と必要な勉學をするだけの報酬系 (未來の報酬のために現在の苦勞を選ぶ力) を持ち,
- 金錢を用意せられた
人間がそれを達成する.
(他人に關してなんやかや言ふのは氣が引けるから自身を取り上げると) われは まあまあの大學を出て まあまあの企業に入り困りごとの少ない生活を幸運にも送る.
日本でその樣に暮らすことは, 世界全體で見れば超惠まれた人間と言へる.
これを自身の功績と感じたことはない.
われは高校に入るまで高校を卒業すれば勞働するものと思ってゐた (周圍に大学卒業者が無かったから) が, 偶然にも大學の存在を知り得た.
貧しい片親家庭であったが, 偶然にも親が奬學金の取得に協力的で入學料と授業料を用意し得た.
また偶然にも受驗勉強に堪へる腦を有して生まれた.
これらの分岐の全部が薄氷であり, 逆の狀況でもおかしくなかった.
われが努力したから (‹偉い› から) 大學に入れたのではない, 努力は單に幸運の一部分である.
逆に不遇な人, つまり親は非協力的で, 知能は高くなく, 貧困し, 大學の存在をも知らない人も, 本人が怠けたから (‹惡い› から) その樣なのではない.
全部は運である. それを本人の責任 (功績) と勘違ひせすれば恥である.
これを聞いて自身の努力が否定されたと怒る必要も無い.
努力し得ない人, 努力して失敗する人, 努力せず成功する人, 努力して成功する人, どれも等しく運である.
運は努力を否定せず, 內包する.
全部 運だからなにも意味がないと人類が思ふと停滯するので, 人類の向上のために努力と言ふ虛構を用意するのだらう.
だがそれは決して他者を攻撃するためにあるのでなく, 怠惰な為政者を免責するためにあるのでもない.};